中江の歴史と世界の歴史 明治編

明治20
1887
初代中江桾太郎、郷里新潟より上京。黒門町にて修行を始める

明治22
1889
大日本帝国憲法公布


明治27
1894
日清戦争勃発


明治34
1901
ノーベル賞設立


明治36
1903
ライト兄弟、飛行機の初飛行に成功


明治37
1904
日露戦争勃発


明治38
1905
吉原大門(現在地)にて「桜なべ中江」を開業

日露戦争終結

アインシュタインが相対性理論に関する初の論文を発表

明治41
1908
「ラストエンペラー」溥儀が清の皇帝に即位

明開花の中、ハイカラなグルメとして桜鍋が生まれました。当時、遊郭があり、粋な歓楽街として栄えていた吉原には桜鍋を売る店が二十軒以上も軒を連ね、吉原名物、数少ない東京の郷土料理として、吉原遊郭行き帰りの粋客から朝・夜問わず食されたといいます。明治38年に中江もその中の一店舗として暖簾を掲げました。
遊郭からの朝帰りのお客様、昼食、夕方は遊郭へ繰り出す前の腹ごしらえ、そして深夜は遊郭帰りの夜食にと、中江は一日中賑わっていたそうです。
創業当時はライバル店がたくさんありましたが、現在吉原に残ったのは中江だけになってしまいました。


鍋には『味噌ダレ』がつきものです。淡白な桜肉にコクを与える味噌ダレですが、桜鍋に最初に味噌ダレを使ったのが中江の初代桾太郎です。つまり、中江は現在の桜鍋の元祖なのです。
桜鍋は当時から滋養強壮に良いと言われていました。
現代でもスタミナのつく料理を食べることを『馬力をつける』と言いますが、これは吉原の桜鍋を食べることが語源です。



初代 桾太郎
手の中江という愛称をいただいておりますが、理由をご存知ですか?
当時、中江の前は堀になっていて土手がありました。後に区画整理で掘は埋められたのですが、今でも堀と土手があった頃にちなんで「土手の中江」と呼ばれています。ちなみに、中江の前の道路は「土手通り」です。
映画『吉原炎上』のラストで主人公が土手を人力車に乗って去っていくシーンがありますが、その土手が中江の前の土手です。



吉原大門(おおもん)
遊郭の入り口でした